施術時間中は患者様をお待たせしてしまう為、お電話に出られない場合がございます。 ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

初めまして。はっとり整骨院院長の服部尚輝です。
1984年に高島平で生まれ育ち、活発かつ天真爛漫な少年として過ごしていたそうです。
サッカーに明け暮れ、高校生まで真面目に打ち込み、学業も同様に行い、大学にも入学しましたが、中退してしまい、挫折し、将来何をしていいかわからず惚けていた時期を過ごしていました。

また、「自分は一体何者なのか、何をしたいのか」と情熱を捧げる場はないかと考えていた頃でもありました。

ふと思いついたのが「一生サッカーに携わる仕事につきたい」でした。

21歳まで10年以上サッカーも続けていましたし、地元の私自身入っていた少年サッカークラブのコーチをするほど好きで、小さいころからその時まで続いていたのがサッカーだけというのもキッカケでした。
サッカーに関連する職業はないか探していたところ、整骨院を見つけ出しました。
ケガの処置、トレーナー活動だったり、「これだ!」と思いました。
すぐに求人情報誌から探し、たまたま未経験募集の整骨院があったので連絡し、面接、採用となりました。
未経験からのスタートでしたが、職場のみなさんが快く迎えてくれたおかげで人間関係のストレスは0に等しかったといえます。
今でも、連絡を取り合うほど、仲良くさせて頂いています。

暗黙の了解ですが、当時資格がなくても患者さんにも施術できる時代でもあったため(今はダメです)、入社して1週間で施術に入ることができました。
ワンコインでマッサージが、そこの整骨院のやり方で、指名制はなく、ベッドが空いていたら、マッサージの流れでした。
先輩方と比べられるので、クレームを多く頂いたのよく覚えています。
少しでも早く上達したいという一心で、練習を重ねました。
休みの日は大きい医学書が置いてある書店に足を運び、解剖学、施術法を読んで、自分のものにしようと努力しました。

伝えるのが遅くなりましたが、その整骨院の在籍期間は1年半で、最初の1年は専門学校すら行ってません。お金がなかったのが理由です。ただのアルバイトでした。
整骨院で貯めたお金で入学しようと考えていたのです。

  • 専門学校時代

    「この人達のために、もっと学ばなければ」

    1年で入学金が貯まり、晴れて入学となります。
    それまでの間は独学と現場で学び、患者さん、スタッフに認めてもらおうと一生懸命でした。

    そんなある日、患者さんから「あなた、うまいわね」とお褒めの言葉をいただき、頑張ってよかった、報われたと思いました。
    嬉しい言葉も少しずつ頂くようになり、スタッフとも公私ともに仲良くなり、このままずっと働いていたいと思いました。

    ではなぜ辞めたか?

    もっと患者さんのために上手くなりたいと思ったからです。
    施術はマッサージが主体で、もっと他にも方法がないのかずっと疑問でした。新しい手法を模索していたのです。
    治すというより癒すが目的だったため、私の進む先とずれていました。
    本格的に学ぶ場所はないか、ステップアップしようと向上心が沸き、退職を決めました。
    退職最終日、患者さんから寂しい、悲しいと言ってくれたり、泣いている人もいました。
    まだ経験1年の何も知らない未熟な私にそんな声をかけてもらうとは夢にも思いませんでした。
    「この人達のために、もっと学ばなければ」と強く思い、転職先は技術レベルが高い職場を選びました。

    サッカー関係で繋がった人脈を頼りに、たまたま地元の高島平で整骨院を経営している知人を紹介してもらい、入社しました。
    特殊な治療法だったり、マッサージのレベルも高く、本当に勉強になりました。
    今の時代、マニュアル化が当たり前の中、習うより慣れろで、私にはピッタリでした。
    普通は、施術時間、テーピング、マッサージの順番だったり、他の施術者との差が出ないように、細かいところまで、設定されています。
    自分で考えて、身体を診るのが、好きだったので、ある程度は決まっていましたが、殆ど自由でした。恵まれていたと思います。
    念願の専門学校に通学しながら、実践も仕事でできる、幸せでした。

    朝から夕方まで、整骨院で勤務し、そのあと夜まで学校で、肉体的にもヘトヘトでしたが、自分のやりたいことがやれていたため、そんなに苦ではなかったです。

    そんなある日、カポジ水痘用様発疹症にかかってしまいました。
    ヘルペスウイルスとアトピー性皮膚炎の合併症です。
    疲労とストレスが原因と言われました。
    週6で朝から夜まで、カツカツで動いていたため、気が付かないうちに疲労が蓄積していたのです。

    当時スタッフの中では年長者(25歳)だったので、上からは期待も込めてキツイ言葉だったり、下からは、少し高圧的な人もいたので、わがままを言われたりと、板挟み状態になり、精神的にも参っていました。
    環境を変えようとそこの職場は辞めることにします。
    好きだった仕事が嫌いになりかけたからです。
    国家試験も迫っていたので、勉強に専念しました。
    辞めるまで、頭の中は仕事だけでしたので、成績も最下位に近く、必死でした。

    無事国家資格も取得し、多忙のため諦めていた、学校主催の上海中医学大学による解剖実習に行けました。

    私たちの仕事は、病院とは異なり、レントゲン、MRI、手術だったり、直接身体の中を見たり、触ることはできません。すごく気になっていました。
    以前に、在学中、国内での解剖実習は経験はありますが、すでに切って取り除いた後でしたので、細かいところまでは見れませんでした。
    詳しく見ることができ、大変参考になりました。
    教科書で学んだ内容を更に深めることもできましたし、施術のヒントをもらえました。
    自分で考えて、「ここはもしかしてこうでは?」と仮説を出し、検証する。
    この仕事の醍醐味だと思っています。
    研究があって、発見があり、発展して、新しい施術法ができ、そこからまた、研究して・・・。
    そのループの繰り返しだと思っています。
    もう一度、仕事の楽しさ、やりがいを思い出しました。

    プライベートで同級生とグアムにも旅行しました。
    初めての海外で楽しかったですし、学生気分を味わえました。
    仕事を探し始めたのも卒業してからです。
    同級生の殆どは、卒業する半年前以上から、就職先は決まっていて、かなり遅いほうでした。
    学校の紹介で、何とか就職先が決まり、場所は戸越銀座になりました。

  • 就職

    「この人のために働けない」

    今までとスタイルが違ったことは、院長、スタッフだけでなく、社長がいて、マネージャーがいて、会社組織として動いていたことです。
    社長も若く、私の2つ上でした。

    社長は現場にいないので、主に、院長、私含め3名体制で業務していました。
    マネージャーも空いた時間に、技、コミュニケーションと熱心に教えていただきました。

    別に時間を取って、カイロプラクティック、メンタルスキルであるコーチングのセミナーだったり、業界では知らない人はいない著名な先生や、DC(カイロドクター)のセミナーも受けさせて頂きました。
    特に密に関わっていた3人が本当にいい人たちでした。
    今まで会った中で、一番優しく人格者の人たちです。
    今でも御恩は忘れません。
    ただ社長が問題を起こし、信じれなくなり、辞めてしまいます。
    歳を誤魔化していました。
    私の年下だったのです。
    歳が下だから、不信になったのではなく、嘘を言われたのが本当にショックでした。
    「この人のために働けない」と落胆し、次に進むことにしました。
    切り替えの早さは、サッカーで培ったものです。
    入社して9か月目のことでした。

  • ターニングポイント

    「一人でもできるな」

    そんなとき、2か所目に働いていた高島平の整骨院から声をかけてもらいました。
    自己都合で辞めた人間にまた声をかけてもらえるとはと、心の大きさを感じました。
    今でも変わらない想いですが、『治したい!技術をつけたい!』は私の絶対です。
    それが叶えられると信じ入社しました。

    背骨矯正は前職でもカイロプラクティックとして教えていただきましたが、そこの整骨院では大阪発祥で日本古来の武術を応用した「小林式背骨矯正術」という手技をおこなっていました。理解を深めたく、セミナーにも参加しました。
    金額は当時の私からしたら高額でしたが、十分見合う価値がありました。
    当時の整骨院と違い、移転して大きくなったこともあり、毎日100名以上の患者さんが来院します。
    激務でしたが、たくさん触れることで経験を積むことができました。

    ただ意味のないことは何一つないといいたいですが、経営に関するミーティングが多すぎるなと感じました。
    午前8時に出社し、午後9時まで診療、休憩時間も10分のときもありました。
    そこからミーティングが午後11時まで。
    次にカルテ書きです。毎日午前様でした。

    日曜日も業界以外のセミナー(ほぼ強制?)にも参加し、限界でした。
    月2日休めれば良いほうです。
    肉体疲労で辞めようと思ったのは初めてです。
    しかし、絶対に辞めれない理由がありました。

    実は前職を辞めた後、次の仕事も辞めたら業界から去ろうと決めていたからです。。
    26歳で結婚し、28歳で子供もでき、食べていくためには、時間と給料のバランスがいい全く今までと異なる業界にと考えていました。

    整骨院業界で私の望みが叶うことは、ほぼほぼありえません。
    そんな時、バタバタと退職者が出始め、気が変わったのか初めて経営セミナーではなく、技術セミナーを開催して頂きました。
    小林式背骨矯正のトップが個人的に行うセミナーです。

    私のターニングポイントでした。

    その先生は技術だけでなく、心理学、経営学と現場目線で伝えてくれました。
    今の私があるのは、そのセミナー・先生のおかげと言っても、過言ではありません。
    感謝しています。

    自信もつき、「一人でもできるな」と感じてきました。
    開業のきっかけです。そして現在に至ります。

  • 開業

    「治したい!技術を高めたい!」

    「治したい!技術を高めたい!」という想いは今でも変わりません。
    開業してからも、カイロプラクティックのセミナー、DVD等、独学で学んでいます。
    嬉しいことに教えてほしいという同業者からの依頼もあります。
    独自に開発したオリジナルの施術です。

    もし、どこに行っても治らない、困っている方がいらしたら、いつでもご連絡お待ちしております。
    自分が苦しんだ分、人の苦しみが少しわかるようになったと思います。
    苦しみが喜びに変わるのは、出会いで変わります。
    あなたの人生を変えるお手伝いをさせて下さい。

長文、最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

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